ちぐ、はぐ

果てしない戯言

好きなタイプは少女漫画で主人公の女の子に想いを寄せつつも最終的には背中を押して本命の相手へと導くいい友達で終わってしまうような男の子です!

と、合コン(なんて行ったことないけど)で好きなタイプを聞かれたら答えようと思う。

映画「orange」を観てきた。先週は「ピンクとグレー」だったし色モノが続きますな。シゲアキさんが男ひとりでは観に行きづらいと言ってたあれ。

前回、原作本と映画は媒体が違うんだから当然手法や表現が違って当然だと豪語したものの、今回は原作の漫画をなぞるように優しく映像化するタイプの映画だと思われる。ストーリーとしては、10年後の自分から手紙が届き、その内容が「後悔を消したい」というもの。後悔を消すための主人公の女の子の行動で少しずつ手紙の内容と未来は変わっていくのだが、みたいな。ちょっとファンタジーチックなお話。終始病んでいるイケメン山﨑賢人を堪能でき、「けんたお」というものを見せつけられてくすぐったい気持ちにもなる。だがしかし。わたしは須和が好きだった。原作より1.5倍はかっこよかった。須和と結婚したい人生だった。

須和弘人(竜星涼)は主人公高宮菜穂(土屋太鳳)と良き友達でありながら、10年後の未来では菜穂と結婚している。成瀬翔(山﨑賢人)はと言うと転校生で途中から菜穂たちの輪に入る。まあ、以後の展開は皆さんの察する通り。もちろんこれ以外にも菜穂の友人はいる。これは少女漫画によくある図式だが時制が現在のみではない所がミソであろう。ネタバレをしつつわたしが感情移入しまくった所を紹介していくと、前述の翔はとっても病んでいる。精神的に弱い母が自殺してしまったのは自分のせいだと物凄く思いつめている。そして自らも母と同じ運命を辿ろうとさえしている。10年後の未来には翔はいなくて、即ち翔は亡くなってしまっているのだが、交通事故だと思っていたのに自殺だったという。翔に死の選択をさせないことが、後悔を消す事の目的であり、この話の核心にもなっている。前置きが長くなったが、翔と菜穂は互いに気になっていて、前半ではそのぎこちなさや初々しさが描かれている。わたしもスクリーンに向かって顔面が歪んでしまっていた。未来から手紙が届いたのは菜穂だけではなく、須和も同じだった。未来の須和は、翔と菜穂の事を快く思えなくもそれを悔やんでもいる。手紙には菜穂や須和の未来に関することは書かれていなさそうだったから、ふたりが自分たちの将来を知る由もないのだけれど、須和の気持ちを考えると切なくなって泣いた。


思い返せばいつもわたしは、少女漫画の一番手の男の子の方が好きだった。萌えカレ(意外と知らない人が多くてびっくりしたどハマり世代)は宝くん派だったし、最近で言うとアオハライドは菊池くんだし、ひるなかの流星は馬村くん一筋だった。もう、出てきた瞬間から主人公と結ばれないのはわかっている(上記のうち例外はひとりいる)けれど、その好きは止められない。そして、この話を友達としても意気投合できないのに、ジャニオタの友達にこの話を持ちかけると同志がいる。そうすると、こんな仮説を立てることができる。

「ジャニオタは少女漫画の二番手の男の子が好き」


誰しもがこの仮説に当てはまる訳ではないが、そもそもジャニーズを応援するという行為は少女漫画の二番手を応援することに近いものがあると思う。ジャニーズのグループという枠組みの中で、エースは主人公と結ばれる一番手のポジションであろう。だから勿論主人公と結ばれる、エースタイプが好きなひともいる。だが、基本的にグループにエースは1人なので他のメンバーは一番手にはならない。それ以外は順不同の二番手だとすると、ジャニオタの多くはこちらにカテゴライズされることになる。エース(一番手)とは良き友であり、時にはライバルであり、更に時には引き立てる(決して悪い意味ではない)こともある。とすれば、この仮説は成立する。そうすると自ずと、以前コンサートのMCで「3番目のシゲ」を称していたシゲアキさんがわかってくる。この当時はまだ6人で活動しており、絶対エース人類のキセキこと山下さんを前に下手下手に出るシゲアキさんをわたしは「でもわたしの中では1番だからね!!!!!!」と思っていたのをよく覚えている。

今まで自担のポジションを表す例えの概念なんて無いと思っていたからこんな所で繋がるとは思わなかった。わたしはこれからも二番手をこよなく愛していく。