ちぐ、はぐ

果てしない戯言

ミュージカル ハルのふたつの疑問

いつか観てみたいな、と思っていた薮くんの主演ミュージカル。平成の最後を華々しく飾る作品として相応しくて、本当に素敵な作品に巡り会えた。生オーケストラをバックに歌う薮くんは、あまりにも眩しすぎて、かっこよくて、何度観ても最後にはぽろぽろ泣いてしまった。好きな曲、好きなセリフ、本当に色々あって書ききれないけれど、今回はふたつの疑問からちょっとストーリーを考察してみたいと思う。自担しか見てないオタクのとっても主観的な考えだし、セリフや歌詞もニュアンスで正確なものではないし、わたし自身も何が正解とか不正解とかはないと思っているので、ふーんそういう人もいるのか、と思ってください。そして、特にふたつ目の疑問はネタバレでしかないのでお取り扱いにはご注意ください。と言いつつ、全ての仕掛けがわかった上で観るのも、また楽しめる作品であることは間違いないので!

 

【疑問①】ハルはどうして疎まれているのか

 

本題の前に、このお話は幼い頃の大病を乗り越えて健康な体を手に入れたけれど、周囲と上手く関係を築けずに心を閉ざしている高校生ハルが、ボクシングに夢中になっている少女真由と出会って少しずつ変わっていくというストーリー。そんなハルを縛り付けているものがいくつかあって、母親 千鶴の言動、世間の目、幼馴染修一との関係性、心臓移植したことで他人の心臓で生きる自分は一体何なのか。どの物事についてもハルの変化がきちんと描かれていて、そのどれもが折り重なっていてひとつのことだけでは語れなさそうなので、ざっくりとそれぞれのことも。

まず、千鶴との関係性については一幕で伺える描写がいくつもある。特に印象的だったのは、ボクシングを始めたハルに、

「どうしてボクシングなんかやってるの?運動ならまたサッカーをすればいいでしょ?名フォワードだったんだから!2年間体を動かしてなかったから、最初は大変かもしれないよ。でもすぐ元通りになるんだから!」

というセリフの、元通りになるという言葉。千鶴はハルが病気になる前と同じようになることを信じて止まない。そしてハルはそれが母の望むことであるのならと、理想の息子を演じている。ハルのおばあちゃんの言葉を借りるのならば、千鶴は過去の檻の中に居て、それがハルを縛り付けているのは間違いないけれど、何と言うのかハルのためを思っての言動が裏目になってみんな苦しくなってしまってるのが見ていて痛々しかった。

一方で、幼馴染 修一との関係はと言うと、どこかぎこちない。他の友人たちと一緒に流星を見に行っても、きれいなんかじゃない、悲鳴を上げるみたいに発光して爆発する、虚しい…虚し過ぎる…、などと言って場を白けさせてしまう。お互いに思うことはあっても、それを相手にぶつける事が出来ずに「親友ごっこ」を続けているのだ。このふたりはいわゆる「ライバル」なのだけれど、ハルは自分を守りたいから修一(のみならず周囲の人々も)を避けたい感じがして、修一は自分を守るためにハルと親友のように振る舞いたいのかなと感じた。でもお互いに本当のことを言ってしまえば関係は崩れてしまうし、ましてや田舎の小さなコミュニティでは、別の所に新たな居場所を作ることはできない。そんな閉塞感も感じた。ところが、ハルがボクシングを始めたことによって少しずつ前向きになっていく様子を見て、嫉妬に似た感情を抱く修一。二幕の廃墟のシーンでこのふたりが遂にぶつかり合うのだけれど、修一は単純に昔自分よりもサッカーの上手かったハルに嫉妬している訳ではなくて、そのハルが病気になったことで良くも悪くもハルに注目が集まり、ハルに向けられた数々の非難の声が、次は自分に向けられるのではないかと怖くて怯えていた故であったと。「自分に生きている価値はあるのか」そんな修一でも、ハルが病気になった時にはどうすればいいかわからなかったし、手術が成功したと聞いた時には生まれて初めて嬉し泣きをしたと言っていて、とても凡庸な感想だけれど、口に出すことはないけれど心の底では繋がっているんだなと。そして試合のシーンで負けそうになるハルを大きな声で励ます修一。「どうしたんだその顔は」「やり直せるところを見せてやれ」頑張れ、ではなくてハルを奮い立たせるような言葉。ずっとハルを見てきた修一だから掛けられる言葉に本当に胸が熱くなる。

親や友人たちと上手く接することが出来ないのはわかるのだけれど、どうしてハルが世間の人の目を恐れて、疎まれているのかわからなかった。(もうこれは自担だという贔屓目もあって仕方ないのだけれど、1回目とか2回目の時はもう本当にわからなかった。)特に二幕の「ルサンチマン」の辺りで、ハルくんの悪口言うやつちゃんと顔だして拳と拳でぶつかり合おうや!!!ハルくんに優しい世界になって(泣)(泣)と思っていたオタクなので。だって、シンプルに心臓移植することが何でそんなに嫌われることになるの?って思った。なんでハルはそんなに他人の目線を気にして怯えているのだろうと。

でもヒントはそれこそ「ルサンチマン」の流れの中にあって、母親の同僚の女の人のセリフそのものと言うのか。そんな千鶴がハルの心臓移植のために街中で募金を募った時にはハルを悪く言う人はいなかったと話していて、でその同僚の女の人が

 

「石坂さん、前にハルくんに募金できない人は心が貧しいって言ってましたけど、私、実家が福島なんですけど、何億ものお金があったら、被災地に使って欲しいと思いました。心が貧しいので。だってふるさと丸ごと潰されたんですよ?今だって、何がまちのオリンピックだって言ってるひと、いっぱいいると思います。その不満の捌け口に、ハルくんが使われてるんじゃないかって。」

 

つまり、ハルが心臓移植をしたのはおよそ5年前のことなので、震災があった後で日本がまだ鬱屈としていて、みんな不安で辛い中で、街中で心臓移植の募金をせっせと集めていたらそれは確かに顰蹙を買ってしまうなと。ハルの舞台となる街がどこなのかは明確になってないけれど、冒頭の流星の歌のシーンで社長さんが避難してもう8年経つね、とか津波はもう怖いからね、と言っていて、恐らく被災地からそう遠くない内陸地なのかなと思ったけど、試合のシーンでリングに大漁旗が貼られているのがいつもちょっと気になっていた。

それはさておき。災害でみんなが塞ぎ込んでいて、でも少しずつ歩みを始めている中で、個人にそんなに多額のお金を集める行為はいくら命がかかっていたとしても批判しやすい。自分の不安や鬱屈した気持ちを晴らすための対象としてハルが標的になってしまった。殊に、インターネットが発達した現代では、誰でも簡単に全く知らない他人を指先一本で批判することができる。ハルが住んでいる所は田舎ゆえ、小さなコミュニティだから小さな世間でみんながハルのことを知っている。そんな窮屈な世界で生きているハルを思うと本当に胸が苦しくなる。

しかし、この「ルサンチマン」〜「最後の一人」のシーンを通して、千鶴がどうしたらハルを守ることができるのかと悩み苦しむ様子が描かれていて、過去から少しずづ解放されていく姿にほっとする。試合で負けてしまったハルにも、「私はあの子を、誇りに思います」ってはっきり言っていて、やっと今にきちんと目を向けられることができたんだなあと。ボクシングと出会って、ハルの内面も表情も変わっていく事は間違いないのだけれど、ハル自身は変わったと思っていなくて、変わってないのに変わったと言われることでまた弱さが出てしまうところも人間らしくていいなと思った。

ここまではハルと周囲の関係の苦しみだったけれど、きっといちばんハルが苦しんでいたのは「心臓移植をして他人の心臓で生きる自分は一体何なのか」というハル自身の内面のこと。(心臓を提供してれた家族に)嘘の手紙を書いて、母親の前では理想の息子を演じて、幼馴染とは親友ごっこを続ける日々。人から貰った命だから、それに相応しいような生き方をしなければならない。自分の心を偽って、嘘を重ねれば重ねるほど自分が死んでいくような気がするというジレンマ。そんなハルが唯一と言える心を許せる相手がおばあちゃんだったなあと。あのシーンのハルはリラックスしてて、自然体な気がしてほっこりする。 

 

【疑問②】真由はいつから自分が死んでいることに気付いているのか(あるいは最初からわかっているのか)

 

物語の最大の仕掛けと言える、ハルの心臓は真由から移植されたものだったというもの。恐らく中盤辺りから、何となく真由の存在に違和感を覚えていて、ハルが初めての試合に負けた後で真由の口から語られる。全編を通して観終わった後で、そうか真由はハルにしか見えていなかったのか、となって物語のあらゆる違和感に合点がつくようになっている。

 

では、真由はいつから自分が死んでいることに気付いていたのか、はたまた最初から自分が死んでいることを知っていたのか。これは物語のかなり重要なポイントになると思っていて、時系列を遡ることで考察してみようと思う。

 

・ひとつ

 

正直このシーンが個人的に一番謎が多い。ボクシングの試合を前に怖くなった、吐きそうだ、というハルに、「私も半年前に初めてボクシングの試合をしたの」と言う真由。「本気で痛くて、本気で怖くて でも ハルにも あの魔法のような時間を生きて 私たちはひとつだから」この「ひとつ」というのがもう最大の伏線だった訳だけど。

でも本当は真由がボクシングの試合をしたのは5年前だし、それはいのちの音の前でも真由自身が言っている。これ以降のシーンで真由が自分自身の事に気付いたはずがないので、ここでは嘘をついたということになる。まだこの時点ではハルに本当の事を伝えるつもりがなかったのではないだろうか。

 

・ハル

二幕冒頭のハルと真由のトレーニングシーン。なめくじみたい、カメみたいとハルを例えておいて、「不器用さも悪くない」「君に目を奪われていくよ」「少しずつ何かがずれてゆく」「どうすればいいかわからない」「そんなに急がないでよ ハル」と歌っていて、好意を抱き始めた自覚はあるけれど、それと共に不安や戸惑いがあるようだ。このシーンの最後で、舞台からはける前に真由が何かを躊躇うような表情をしていて、そのもどかしさをパンチに変えている。同様のシーンが一幕の後半にもあったはずで、やはり真由はハルに自分の心臓が提供されたことを知っていて、何の目的かは置いて置いて近づいて、そんなつもりじゃなかったのに好意を抱いてしまったということだろうか。

 

でもそうなると、一幕の中盤でハルと真由が言い合いをするシーン。何で生きているの?死んじゃえばいいのに、なんて普通自分が心臓を提供した人に言うのだろうか。(そもそも普通は人に心臓を提供することなんてないのだけれど)でも、真由なら言いそうだなと思ったり。

あとはハルと真由が出会ってすぐ位の、神尾ジムのシーン。大川さんが「入会希望者?」と聞いた時に、さっと真由がハルにアイコンタクトして、でハルがうっかり「はい!」とお返事してしまったところから(この後のはっとなって口に手を当てるハルくんがべらぼうにかわいい)、やっぱり最初から真由は自分が死んでいる事は分かっていたのではないかなあと。

こうして展開を全て分かった上で、じゃあこの時にこの人はどう感じていたのだろうか、と考えることができて本当に奥深い。鑑賞した直後は、薮くん お歌がとっても上手い…とか、かっこよかった…って胸がいっぱいになるのだけれど、しばらくしてから、ふとした瞬間にいろんなシーンのかけらを思い出して切なくなって泣きたくなる。ハルと真由のシーンに想いを馳せると苦しくなるし、足を運んだ回数が増えるごとにわたしの中でのハルと真由の思い出も増えていって、ふたりの別れが本当に辛くなる。いじめられていてボクシングと出会って夢中になってでも急に時が止まってしまって、やりたいことを見つけたばかりだったのにすごく悔しかった。最初は喧嘩もしたし、物凄く腹も立ったけど、ハルのこと好きだよ、ハルはもう大丈夫だよって、言う真由が最後のシーンで本当に優しい表情でハルを見ていて、よかったなあと思う気持ちと一緒に、やっぱり切なくて、苦しくて、涙が止まらなくなる。

この舞台の大きなテーマである「命」が、ハルにとって最初は背負いこむものであったけれど、最後の曲で「命 ひとつ 抱えてゆけ」というのがとても良くてたくましいなと。あと、ハルの真由に対する気持ちは基本的には「深く想う」なのよね。「好き」とか「愛」とかじゃない。でも、最後の曲で「愛」が出てくるのがとてもいい。(もうとてもいいしか言えない)『ハル』は本当に言葉の使い方が丁寧で緻密だなと感じる。この後で語る伏線の部分もそうだけれど対比とか、フレーズの使い回しとかが、きれいで見事。ハルの葛藤である「嘘」「偽り」と「本当のこと」「本気」とか、おばあちゃんの「胸がときめく瞬間を 逃しちゃだめよ」の「ときめき」がキーワードになっていたりとか。それでも『ハル』は余白が多い物語だなと思っていて、特に真由の部分に関しては正直死因も「あの事故」みたいな言い方しかされてなくて、でもだからこそ、その余白の部分を想像して楽しめるなあと。少し乱暴なまとめ方になってしまうけれど、全部のことがわかってしまうのは面白くない。強いメッセージ性とか、強烈なインパクトとか、メタファーとか、そういうのが盛り込まれた物語も好きだし、前のめりになって解釈したくなるけど、今この日本で生きていくことってかなり曖昧だし、危ういし、他人のことも、自分のことすらもはっきりわからない。だからこんなに長々と文章を書いてしまう。「命」がテーマだけれど、生とか死とかを押し付けてこないのは、ぜんぶ生きているひとの等身大の言葉だから、生身の温度で心に届く。これってすごく難しいことなんじゃないかと思っていて、でもそれを表現できる薮くんは本当にすごいと思った。薮くんがハルを演じてくれたから、わたしはハルくんに出会うことができたと思う。

 

週明けから大阪公演。ご縁があって大千秋楽に行けることになったけれど、その前にどうしても気持ちを整理したくて、長々と書いてしまいました。ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。

 

最後に、ハルくんがいつまでも健やかな世界で生きていけますように。

 

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